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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(行ツ)127号 判決

神奈川県藤沢市辻堂大平台一丁目三番二号

上告人

石神勇太郎

右訴訟代理人弁護士

増本敏子

神奈川県藤沢市朝日町一の一一

被上告人

藤沢税務署長

下村慧

右指定代理人

岩田栄一

右当事者間の東京高等裁判所昭和五二年(行コ)第五八号更正処分等取消請求事件について、同裁判所が昭和五四年六月二七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人増本敏子の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本山享 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎万里 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)

(昭和五四年(行ツ)第一二七号 上告人 石神勇太郎)

上告代理人増本敏子の上告理由

原判決については、次の二点について、判決に影響を及ぼすべき法令の違背があるので、破棄さるべきである。

第一、「表示の錯誤」に関する法令違反

一、原判決が、確定申告書の「特例適用条文」欄に適用法条を記載しなかつた場合に錯誤の主張が許さるべきだと判示したことは、上告人の同意するところである。

しかし、錯誤の要件事実とその具体的適用に重大な誤りがある。租税特別措置法二六条によれば、同法条を適用した旨を「特例適用条文」欄に記載すれば(それは、単に「措置法二六条」とか「二六条」と記入すればよい)、所得税法上の実質課税を免れて、社会保険診療報酬の中の七二パーセントを必要経費に算入できるものであつて、上告人の確定申告書によれば、上告人の社会保険診療報酬による収入については、七二パーセントの必要経費を算入していることが明らかであるのに、「特別適用条文」欄に「措置法二六条」とか単に「二六条」とか「二六」とか、前記条文を適用したことを推認できる記載がなかつたのであるから上告人の特別適用条文の不記載の錯誤は客観的明白なものではないだろうか。特に、前記法条で特例適用条文の記載が法的に要求されているのに、所得計算では七二パーセントの必要経費の算入をしていながら、当該法条を記載しなかつたことが、確定申告書から一見して明らかなのであるから、上告人の当該法条の不記載は、客観的にも明白な錯誤なのである。

二、原判決は、上告人の錯誤について重大な過失があつた旨判示するが、上告人とその記帳補助者である湘南民主商工会(上告人はその会員である)が、措置法二六条一項の所得計算の特例は諒知していても同法条二項の不記載による不利益は諒知していなかつたことが証人松井孝吉の証言、上告人の第一審本人尋問の結果、証人石神文子の証言によつてもうかがうことができるのであつて、それは重大な過失ではなくて、通常の法の不知にすぎないことである。

この措置法二六条自体が、きわめて政治的、政策的な法条であつて、確定申告書の特例適用条文欄に法条を「二六条」とか「二六」とか記載したかどうかでその法的効果を左右するなどという法律常識的には考えられないことを定めていて、他の措置法上の計算の特例では補正が認められるのに、この二六条だけはその道が閉ざされていることとの比較考量からみても、この法条の不記載をもつて重大な過失と断定するのは、全然正しくないと考えるものである。

三、原判決は、さらに錯誤を許容すべき特段の事情がない旨判断するがこれも又、全く正しくないと思う。

「特段の事情」とは、上告人の利益を著るしく害する事情を指すのであるが、その点は、特例適用条文の僅か数文字の記載の有無で、措置法二六条による所得計算上の有利な特例を認められるか否かの重大問題であつて、納付すべき税額の増差はなんと一〇、七七〇、九〇〇円にものぼつているのである。これは上告人の利益を著るしく害する特段の事情であると同時に、国庫からみれば、医師の社会保険診療報酬について政策上の所得計算の特例を法律で認めているのであるから、上告人の確定申告による納付額で満足しても特別に損失を与えることにはならないであろう。

四、以上のように、上告人には客観的に明白な錯誤によつて重大な不利益を受けることになるのであつて、本件各更正処分が違法なことは明白であると思料するものである。

第二、所得税法一五六条違反について

一、原判決は、所得税法一五六条の推計資料に関する規定は、例示的なものというが、それは、次の点で誤つている。

ひとつには、同法条が、推計資料について、推計課税を受ける「その者の」財産若しくは債務の増減の状況等々……と規定しているのは、課税の計算方法が推計であるため、納税者の実態に接近した税額の算出をしなくてはならないためであることの外、納税者が自分の手持ちの推計資料で推計計算される場合には課税権者の推計課税の経過と結果を手持ち資料で十二分に検討してその適否を判断できるからである。申告納税制度(国税通則法一六条一項一号)の下では、納税者の確定申告を強権的に更正する場合や、不申告(これは、申告して納付すべき税額がないので申告しないものと看做される)の際の強権的な決定の場合に、その更正や決定の内容が、納税者に諒知可能な資料にもとづいてなされることが当然予定されているのであつて、所得税法一五六条の規定は正に、その制度上の当然の要請にもとづくものである。

即ち、納税者に対し、自己の判断した以上の財産上の負担を課税権者である税務署長が課するのであるから、納税者がその内容について諒知可能でなくてはならないのは当然なのである。

従つて、同法条の推計資料は「その者」の推計資料でなくてはならないのであつて、例示的ではなくて、限定的なものである。

二、仮に、百歩を譲つて「例示的」なものであるとするなら、「その者」の推計資料と同じように、納税者に更正、決定の内容を検討するに足る諒知可能なものでなくてはならないのである。

本件において、原判決は被上告人のなした推計課税は、同種同規模の同業者比率を適用したと認定してこれを正当とするのであるが、本件訴訟記録を精査されればお判りになるように、上告人には、その同業者比率が、真に上告人と類似しているか、その原価及び一般経費について如何なるものであるかなど、何ら判断できる材料をもたないのである。上告人が、何回被上告人に釈明を求めても、被上告人が釈明しなかつたものであり、上告人としては、本件更正処分の課税根拠についての攻撃防禦方法を何も持たなかつたものである。

このような本件更正処分を肯認する原判決が、所得税法一五六条に違背することは、明白だと考えるものである。以上

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